建勲神社~明治期創建、織田信長を祀った神社に参拝~【日本の街・京都市(京都)】

京都

公開日 2021年9月23日 最終更新日 2021年9月23日

▼はじめに

京都にある建勲神社に参拝に行ってきましたので当日の様子を記載します。

 

こんにちは!

ライフログを日々記録している管理人のもっつです。

 

日本国内は、47都道府県中45都道府県に訪問をしております。

旅行や出張などなど。

訪れた場所の記録を残しています。

その時訪問をした場所であったり、都市であったり。

その時訪問をした場所の記録を都度記録しております。

同じ場所に複数回訪問をした場合も、訪問履歴に追記を行う形で

同じ場所の情報を1記事に集約するように心がけています。

 


◆建勲神社

 ~明治期創建、織田信長を祀った神社に参拝~【日本の街・京都市(京都)】

 

▼外観写真

・撮影日:2019/09/15

▼内観写真

・撮影日:2019/09/15

 

▼建物・史跡情報

場所 建勲神社(たけいさおじんじゃ)
住所 京都市北区紫野北舟岡町49
電話番号 075-451-0170
定休日
営業時間 9:00~17:00
予約など
料金 無料
席数
駐車場 無し
創建年 1869年(明治2年)
ウェブサイト http://kenkun-jinja.org/

▼地図とアクセス

▼謂れ

WIKIより

1869年(明治2年)11月8日、「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」として、戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛えるための健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建が明治天皇により決定された。翌1870年(明治3年)10月17日、「建勲」の神号を賜り、信長の子孫で天童藩知事・織田信敏の東京の邸内と織田家旧領地の山形県天童市に建勲社が造営された(天童市に造営された建勲社については建勲神社 (天童市)を参照のこと)。1875年(明治8年)4月24日に別格官幣社に列格した。

現在地の船岡山は平安京の四神相応の玄武に位置し、完成しなかったとはいえ豊臣秀吉によって信長の廟所・天正寺の境内地と定められた場所であった。その船岡山に神社を移すことになり、1880年(明治13年)9月、社殿が竣工して東京より遷座した。なお、この時は現在表参道を少し登ったところにある「大平和敬神」の石碑が建っている場所に本殿があった。1881年(明治14年)に織田信忠が合祀されている。1910年(明治43年)に社殿が現在の山頂部分に移建された。

戦後、近代社格制度の廃止に伴い神社本庁の別表神社となったが、2019年(令和元年)に神社本庁から離脱した。

祭神・織田信長の業績にちなみ、国家安泰・難局突破・大願成就の神社とされる。高台にある境内からは特に大文字山・比叡山方面の眺望が良い。また、大鳥居は京都府内最大の白木の鳥居である。

▼御朱印

■訪問日:

 

▼御朱印帳はこちらから

 

 

▼訪問履歴

■訪問日:2019年09月15日

2019年9月15日に参拝しました。

建勲神社とかいて、けんくんじんじゃ、たけいさおじんじゃと読みます。

どちらでも間違いではないようです。

天気のいい朝、相変わらずの我々夫婦は家から歩いていやってきました。

なかなかの距離ですが、歩くことによっていろいろな発見があります。

それが楽しくて街歩きはやめられません。

京都の中では歴史が浅い、明治時代にできた織田信長を祀った神社です。

現在は神社本庁を離脱している神社です。

階段を登り、参拝をし、御朱印を拝受してまいりました。

▼最後に

重厚感のある立派な神社でした。

緑に囲まれた神社はゆっくりとした時間が流れて気持ちを落ち着かせてくれます。

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