白山比咩神社~全国2000の白山神社の総本社、凛とした雰囲気に包まれた社が出迎えてくれます~【日本の街・白山市(石川)】

石川

公開日 2021年5月20日 最終更新日 2021年5月20日

♦白山比咩神社

~全国2000の白山神社の総本社、凛とした雰囲気に包まれた社が出迎えてくれます~【日本の街・白山市(石川)】

▼外観写真

・撮影日:2019/12/04

▼内観写真

・撮影日:2019/12/04

 

 

 

▼建物・史跡情報

場所 白山比咩神社
住所 石川県白山市三宮町ニ105-1
電話番号 076-272-0680
定休日 無休
営業時間 24時間参拝可
予約など
料金 宝物館:拝観料 大人(個人)300円 (団体)200円  高校生以下無料
席数
駐車場 500台
開店日 崇神7年 紀元前91年
ウェブサイト http://www.shirayama.or.jp/

▼地図とアクセス

 

▼謂れ

WIKIより

白山は日本三霊山にも数えられ、古代から崇敬の対象であった。社伝由緒によれば、崇神天皇の時代に白山を遥拝する「まつりのにわ」が創建された。元正天皇の霊亀2年(716年)に安久濤の森に遷座して社殿堂塔が造立された、と伝わる。

養老元年(717年)に越前の修験僧・泰澄大師によって白山に登って開山。主峰・御前峰に奥宮が創建され、白山妙理大権現が奉祀された、と伝わる。

史料文献初出は、白山比咩神(しらやまひめのかみ)は仁寿3年(853年)10月に従三位に初叙[注釈 1]された。

以後、一宮制度で加賀国一ノ宮と定められ、白山本宮・加賀一ノ宮の白山比咩神社は、平安時代中期から鎌倉時代を経て、室町時代前期に至る約500年間栄えた。

また、白山信仰の禅定道の拠点、加賀馬場・白山比咩神社、越前馬場・平泉寺白山神社、美濃馬場・長滝白山神社のうちの加賀馬場(ばんば)として、白山山頂の管理や入山料の徴収などの利権で潤った。

しかし室町時代中期の康正元年(1455年)以降加賀国に入った本願寺の加賀一向一揆のため年貢米が得られなくなり困窮した状況で、文明12年(1480年)に大火により全焼して、三宮の地に遷座。続く加賀一向一揆の戦乱で白山衆徒は廃絶し、社殿は再興できずその後100年間あまり荒廃した。

白山本宮の社殿堂塔復興は、安土桃山時代に綸旨を受けた前田利家により行われた。社名を白山本宮である白山比咩神社、神宮寺の白山寺も復興・併設、江戸時代は加賀藩主が社の経営をみるところとなった。

江戸時代全期にわたり、白山嶺上の祭祀権(社家権利、札発行、梵字押捺の勧進)と室管理(賽銭収入)を巡って「白山争議」が何度も起きた。尾添村と高野山真言宗、牛首村・風嵐村と越前馬場の平泉寺・比叡山天台宗、美濃馬場の越前国大野郡石徹白、それに巻き込まれた白山本地中宮長滝寺(現 長滝白山神社)、の間で訴訟が起きた。幕府寺社奉行所の裁決が繰り返され、平泉寺の権利に移っていった。

明治時代の神仏分離令により、白山寺は廃され、白山本宮・加賀一ノ宮の「白山比咩神社」と号した。そして歴史史料が調査され、加賀の白山比咩神社・越前の平泉寺白山神社・美濃の長滝白山神社の3社から「延喜式神名帳」に記載された加賀の白山比咩神社が最も古く、全国の白山神社の総本社とされ、白山天嶺の地は本社境内となり奥宮が置かれた。越前・美濃は分霊された白山神社とされた。越前・美濃の白山神社より勧請を受けた他の白山神社も、加賀の白山比咩神社の分霊社に由諸を書き換えた、とされる。

第二次世界大戦後、白山比咩神社は白山神社の総本社として神社本庁の別表神社となり、白山頂上の奥宮を中心とする約3000ヘクタールの広大な地域を本社境内として無償譲与を受け、現在に至る。

▼御朱印

■訪問日:

▼訪問履歴

■訪問日:2019年12月04日

2019年12月4日の早朝に参拝をしました。

雨が降ったりやんだりの北陸らしい天気の1日です。

さてこちらの神社、全国に2,000社以上ある白山神社の総本社です。

通称として「白山(しらやま)さん」「白山権現」「加賀一の宮」「白山本宮」ともよばれています。

神紋は「三子持亀甲瓜花」。

白山神社といえば全国の至るところで名前を聞く神社です。

その総本社です。

非常に立派な風格を持っています。

1100年以上の歴史を誇る神社です。

境内は静かで、りんとした空気が流れています。

朝の早い時間から男女とわず、多くの方が参拝をしています。

針葉樹が多いため、境内は緑に囲まれ厳かな雰囲気があります。

参拝をし、境内を散策、最後に御朱印を拝受してまいりました。

▼最後に

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