公開日 2020年9月21日 最終更新日 2020年9月21日
▼増上寺
~東京タワーのふもとに位置する徳川将軍家にゆかりのあるお寺と箱根駅伝~【日本の街・港区(東京)】
▼外観写真
・撮影日:2019年06月04日 |
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▼内観写真
▼建物・史跡情報
場所 |
大本山 増上寺 |
住所 |
東京都港区芝公園四丁目7番35号 |
電話番号 |
03-3432-1431 |
定休日 |
無休 |
営業時間 |
6:00~17:30 |
予約など |
– |
料金 |
– |
席数 |
– |
駐車場 |
有 |
創建 |
明徳4年(1393年) |
ウェブサイト |
https://www.zojoji.or.jp/ |
▼地図とアクセス
▼謂れ
WIKIより
9世紀、空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だという。
その後、室町時代の明徳4年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めた。この聖聡が、実質上の開基といえる。
開基聖聡の弟子には、松平氏宗家第三代松平信光開基の信光明寺開山釋誉存冏(そんげい)や、松平氏宗家第四代松平親忠開基の大恩寺開山了暁(りょうぎょう)慶善がいた。また松平親忠の第四子で、浄土宗総本山知恩院25世の超誉存牛や、徳川将軍家菩提寺大樹寺開山の勢誉愚底(せいよぐてい)はいずれも聖聡の孫弟子であり、中世から松平氏や徳川氏とのつながりが深かった[1]。
中世以降、徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかでないが、通説では天正18年(1590年)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったという。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移された。
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▼御朱印
▼訪問履歴
■訪問日:2019年06月04日
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2019年6月4日に訪問しました。
参拝で訪問をするのは10年ぶりくらいでしょうか・・
もともと事務所が浜松町にあったことも有り、周辺はよくわかります。
3.11もは浜松町の事務所にいるときにあい、かなりの被害にあったことを記憶しています。
さて、平日ということも有りますが、さほど混んでいない状況で参拝をすることができました。
増上寺の見どころは、東京タワーと重なり合う本殿ですね。
いろいろなドラマや映画、アニメなどでも登場します。
徳川家の菩提寺としても有名なお寺です。
お正月の箱根駅伝は増上寺の正門前をランナーが駆け抜けていきます。 |
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■訪問日:2008年01月03日
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初詣のために友人と芝の増上寺へ・・
東京タワーのお膝元にある大きな寺院です。
今年1年のお願いを祈念してきました。
時間がちょうど13時前後、増上寺前の日比谷通りにえらい数の人人・・・
小旗を持っている人も多く、箱根駅伝のコースになっていることに気づく・・・
これはぜひとも応援しなくては・・・
実は私は箱根駅伝が大好きです。
待つこと15分、駒澤が1位で通過、約2分遅れで早稲田・・・と次々に通過していく・・・
友人と大きな声を出し、応援をした・・・
今年は去年山の神と言わしめた今井の出身校順大が山登りで、9区で大東大が、10区で東海大が棄権するという戦国駅伝、襷の重みを考えさせられた大会。
その中でも関東学連選抜の躍進は目を見張るものがありました。
わが母校も10位以内に入ることが出来、来年のシードを獲得した・・・
箱根駅伝を見ると正月が来たということを実感できる・・・
選手が通過したあとの余韻をその場で、少しの間味わっていた・・・
写真は芝、増上寺の境内にて |
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▼編集履歴
2008/01/03 |
投稿 |
2020-09/21 |
追記・投稿 |